こころの3:なぜ菜食主義?

菜食主義者はなぜ肉を嫌うのか。

自分の周りには一人もいないが、古くはピタゴラス、レオナルド・ダ・ビンチもベジタリアンであった。新しいところではスティーブ・ジョブスなど。
同じ採食主義でも、比較的マイルドなのがベジタリアン。ビーガンにはもっと厳しい規律がある。
ただし、厳格さだけの問題ではなくて、考え方によって乳製品はいいけど卵はだめとか、その逆さまならいいとか。あるいは両方OKなんていうビーガンもいて、よくわからないのです。
いい加減なところでは、肉を半分に減らすのがセミベジタリアン。週末は肉を食べないと言う人々をフレキシタリアンと呼ぶが、これはベジタリアンと言っていいのかな。
いずれにせよ、肉食を嫌うのにはいくつかの理由がある。

1)健康上の理由
2)地球環境保護のため
3)宗教上の理由
4)動物愛護の観点から

他にもあるかもしれない。

1)健康上の理由

これが最も分かりやすい。霜降りの牛肉をやめて、野菜を食べていればビタミン、ミネラルが豊富だし、食物繊維がとれるのでお通じにもいいだろう。しかし、健康上の理由だけならば、何も絶対に肉を食べないと宣言しなくても、サラダのドレッシングに多少のベーコンが混ざるくらい、いいのではないかと思う。

私の母は、父に野菜炒めを食べさせようとしたが、80歳を過ぎて歯がなくなった父には、野菜が噛めない。トン汁も作ったが口に入ったものは煮えすぎた大根と豆腐、それに汁だけ。それでも92歳まで生きた。

2)地球環境保護のため

飢餓に苦しむ人々は8億人。一方で、世界中の作物の3分の1は家畜の飼料として宛がわれる。飼料をそのまま食べれば栄養価は変わらないけど、これを牛に食べさせて、牛肉のたんぱく質を作ると、その効率は10分の1に減ってしまうのである。
その他にも輸送のエネルギーや水の汚染、二酸化炭素の排出など、地球環境にいいわけはない。

3)宗教上の理由

これは全くわからない。宗教によっても違うから。
それでも多くの宗教は、動物を殺すことをよしとしない。特にインドやエジプトでは肉食が嫌われた。
ただし、肉ならどれも同じということではなく、マトンカレーがあるのにビーフカレーがないのは、牛が聖獣として扱われたから。

日本でも天武天皇の律令制以来、肉食は禁止された。その後も長らく仏教の教えは、殺生を禁じてきた。ただし、殺生を禁じているのであって、肉食そのものを禁じているのではない。そこに肉があれば食べてもいいので、この緩やかなところがいい。
実際、お坊さんたちも肉や魚を食べたい気持ちは十分にあって、精進料理は山芋や大豆を使って、鱧や肉によく似た味覚を作っていた。
もっと厳しいところではジャイナ教の場合、虫も殺してはならない。お釈迦様も虫を踏みつぶさないよう、よく下に気をつけて歩いていた。
しかし、これを極端にとらえ過ぎて、水中の微生物を飲み込まないよう、水を絶って亡くなった僧侶の話も聞いた。
日本でも戦後、法律に違反をしないよう、闇米を一切口にせず、餓死をした裁判官がいたが、なんとも悲しい話。

4)動物愛護の観点から

イギリスのベジタリアン教会は肉食どころか、生き物の殺生を禁ずるために、絹から皮革製品に至るまで利用を禁止。
アメリカでは、1800年代に動物愛護法ができて、むやみな殺生が禁じられた。

実際、畜産の現場を見れば明らかな動物虐待で、狭い小屋に多くの豚や鶏が閉じ込められて、かれらの生涯は小屋の中。それでも、ステーキのないアメリカなど考えられない。そこに放牧ならば虐待にならないという折衷案が出てくるけど、いずれは牛を殺さなければならない。

せめて最後に行う配慮は、まず電気ショックで失神をさせてから、痛みを感じないように殺すこと。

日本でも昭和48年に動物愛護管理法ができて、対象となった動物は哺乳類、鳥類と爬虫類。
でも、最近の研究でタコやイカも痛みを感じることがわかってきて、ゆでだこなんて作ったら、石川五右衛門の釜茹でと同じじゃないか。鳥インフルエンザの時には、ニュースを読むアナウンサーが無機質な声で、何万羽の殺処分なんて言っているが、あれは何も感じないのだろうか。

どうしたって矛盾はでる。我々ができることは、せいぜい食前の「頂きます」くらいかな。