温泉癒し旅1:陽だまりのバス停
沢渡温泉
毎日同じような暮らしをしていると、無性に旅がしたくなる。そんな時にはなるべく自然の豊かな温泉場を探す。ただし、いつ気が向くかわからないので、直前になって人気の宿を予約するのは難しい。そこで狙うのは、比較的小さな温泉場で、わがままさえ言わなければ大概宿はとれる。
沢渡温泉にでかけたのはずいぶん昔のことだった。群馬県には他にも四万や伊香保があって、中でも草津は一番の人気だけど、強い酸性の湯で肌を痛めた湯治客は、帰りに沢渡の柔らかい湯で肌を癒す。
高崎線から吾妻線に乗り換えて、中之条駅からさらにバスで数十分。沢渡に到着すると、そこは普通の村の風景だった。ところどころ温泉宿があるので、それとわかるが派手さは全くない。一軒見つけた土産物店も閉まっていた。
歩くこと数分、目的のまるほん旅館は趣のある木造建築だった。沢渡温泉は昭和の始め、大火でほとんどの家屋が消失したと聞くから、その後に建築されたものなのだろう。
ピカピカに磨かれたロビーを通って、案内をされたのは二階の和室。窓を開けるとのどかな村の風景が広がっていた。ここから渡り廊下を通って、檜造りの湯小屋に入る。中の階段を降りると大きな浴場があって、澄んだ温泉はまさに癒し。柔らかな湯は一浴玉の肌。
私が玉の肌になっても仕方がないが、とにかく温泉を独り占めにしていると、そこに入ってきたのは親子連れ。母親と子供で、ここは今時珍しい混浴であった。二人は当たり前のように、手際よく身体を洗って湯につかる。客というより、地元の人が毎日通う銭湯のようだった。
母親は多分三十代で、私にとってはちょっと眩しい光景。湯から上がることもできなくて、目線は天井。それ以外にやり場がない。これは癒しと言えるのだろうか。反対に癒しの極限かもしれない。
何にのぼせたかわからないけど、とにかく部屋に戻って身体を冷ます。その後、夕食は宿の食堂に集まることになっていた。野菜を中心とした田舎料理で、嬉しいのは食の細い人用に、品数を減らした献立が用意されていたこと。
食堂には、私の他に二組ほどの泊り客がいたが、やはり先ほどの親子はいなかった。
沢渡はとくに川の景色がよいと聞く。翌朝は暖かい日差しが心地よく、朝食をすませてバスが来るにはまだ時間があったが、辺りを散策するつもりで早めの出立をした。念のためバス停を確認すると、ベンチの端には高齢のご婦人が座っていた。
道を聞くついでに一言二言挨拶をするつもりが、話好きのご婦人に付き合って、結局同じベンチの端に座ることになる。
「お父ちゃんは病院に殺されたんだよ」
最初からずいぶん物騒な話が始まって、相槌を打つと、お父ちゃんの話は簡単に済みそうもない。散策はあきらめた。
そのお父ちゃんは長らく糖尿病を患っていて、ある日具合が悪くなって、病院に行ったらすぐに入院をしなければいけないと言われた。でも、しばらく養生をして元気が出てきたら外出の許可が出た。そしたらお父ちゃんどこかのギャンブルで大当たりをして、病室のみんなに牛肉をふるまってしまった。それで退院をさせられちゃったよ。
すき焼き
今では信じ難い話だけれど、当時はペットを連れて入院をしたり、見舞いの品が酒だったり、こんな事件も珍しくはなかった。
婦人の話はただ聞くばかりでなんとも返事のしようもない。そんな話の途中ではあったが、待っていたバスがやって来たので私一人は乗り込んだ。夫人はベンチに座ったままこちらを見送っていた。
要は糖尿病の状態が悪くて入院をしたけれど、病院の規則が守れないので退院をさせられた。こういう状況では、多分その後の通院もしなかっただろう。
病院としても勝手にすき焼きを持ち込んで、他の患者に振舞ったら食事療法もできない。それも1回2回の話ではなさそうだから、強制退院はいたし方のない処分だった。
一方で、「お父ちゃんは」きっと、退院をしてからは、好きなものを好きなだけ食べて、酒も飲んで満足をして逝ったかもしれない。
問題は残されたご婦人で不満が残るだけ。村の人たちには愚痴を言っただろう。退院をしてからお父ちゃんの身体が弱っていったことを。でも、好きなだけ牛肉を食べて、酒を飲んだことまで言ったかどうか。 昨日温泉で会った母親も、この話は知っているに違いない。
あとはこうしてバス停に座っている。
何度も同じ話をすれば、懐かしい思い出は少しずつ形を整えて、お父ちゃんはだんだんいい男に変わっていく。嫌なことは少しずつ忘れて、老いてからの思い出は婦人にとって大切な生きる糧となる。
天気がよければ明日の朝もこうしてベンチに座って誰かを待っているだろう。