温泉癒し旅2-中学生とー


京都には叔母の一家が住んでいて、子供の頃から何度も訪れた。多分ほとんどの名所は行ったと思うが、よく覚えていない。
観光どころか、従兄弟たちと野球をやって遊んだのは京都御所の広場だったし、お盆の時期には近くのビルの屋上に上がらせてもらって、大文字様を見た。特等席だった。
叔母は子供たちの世話が面倒だったのか、朝は玄米道場に通う。正座をして作務衣を纏った道場主の説教を聞いた後、玄米、味噌汁、お新香が乗ったお盆が配られる。規則は玄米一口を百回噛んで食べること。

「そうだ京都、行こう」

こんなJR東海のキャッチコピーに誘われたのかもしれない。久々に京都、奈良に足を運んでみた。当然のことながら20年もたてば、古都の様子も変わる。
残念ながら御所蛤御門の先にあったきつねうどんの店は、見当たらなかった。今となっては、生涯で一番美味しいきつねうどんになってしまった。
六盛の手おけ弁当と言えば、おけに盛り付けた弁当だけかと思っていたが、立派な料亭になっていた。

腹ごしらえを終えて向かったのは三十三間堂。不謹慎ではあるけれど、とくにこのお寺に興味があったわけではない。明治に流行った東雲節という端唄に、三十三間堂が出てくるのです。


東雲節とは文明開化の世情で、名古屋遊郭の娼妓が廓から抜け出すためにストライキを起こすという話。名古屋ではなく、熊本だという説もあるが、いずれにせよ昔の歌はよく意味がわからない。

なにをくよくよ川端柳~~
焦がるる何としょ

思うに。思うにです。廓から自由を求めてストライキをしたはいいけれど、その後はどうしていいかわからない。川面を眺めてばかり。くよくよしないで、柳の枝のように受け流せばよい。そんな意味ではないかと・・・

次に登場するのが三十三間堂。

三十三間堂 柳のお柳~~
焦がるるなんとしょ・・

三十三間堂の柱を作るために柳の大木を伐採することになった。お柳というのは実は柳の精で、この後悲しい運命にあうことになる。
ここまでは何となくわかるが、これがどうして遊郭の娼妓とかかわるのかわからない。あるいは全く関係がないのかもしれない。
とにかく、その三十三間堂を訪れてみれば、千躰の仏像が並んで、壮観なお寺であった。でも、そこには修学旅行の中学生がいっぱい。あっちこっちを向いてガヤガヤ。案内役のお坊様がマイクをもって仏像の解説をしているが、多分子供たちは誰も聞いていない。
マイクを通したお坊様の声がだんだん荒くなってくるのがわかる。そしてついに叫んだ。

「何だこりゃー、じゃない!」

お坊様の気持ちは十分にわかるけど、私が中学だったら同じように振舞ったかもしれない。

翌日は奈良に向かう。近いと思っていた奈良も、京都から小一時間がかかる。
この度、お寺や公園はおいといて、予定は奈良南方面、談山神社の散策。夜は信貴山の温泉でゆったりと過ごすはず。

当時談山神社近辺の交通の便は極めて悪い。もちろんスマホもない。とりあえず、地図を見て一番近くの駅で降りた。
閑散とした駅前を見れば、これから先自動販売機もないだろう。食事をとろうと思ったけど、飲食店もほとんどない。唯一開いていたのが小さなたこ焼き屋で、ここの暖簾をくぐると、奥から出てきたのはどう見ても小学生。「いらっしゃい」がないのも当たり前。

親を呼びに行くのかと思って、たこ焼きを一人前注文した。ところがこの子が向かったのは店先の鉄板で、不似合いの箸をもった。これを操って自らたこ焼きを作り始めたのである。
たこ焼きはすぐに出来上がって、形は少し崩れていたけど、美味しく頂いた。お金を受け取ったのもこの子で、ついに大人は現れなかった。これを本当の留守番と言うのだろう。

ここから向かうのは談山神社。タクシーに乗って目的地を告げると、しばらく走って何もない道の途中で降ろされた。運転手が言うには、細い道があってそれを真っすぐ行くと談山神社に出る。よく見ると藪の切れ目に獣道のようなものがあった。

「談山神社は奈良大和に藤原鎌足の墓として十三重塔をたてたもの。その後、拝殿や本殿が建立されて、妙楽寺と呼ばれた。何回か移転をして、明治維新後、神仏分離により僧侶は還俗し、名前も談山神社と改められた」

これは帰った後に調べたことで、事前に知っていれば、もっと堪能できたと思う。
談山神社は山の中にあって、とても広い。神社の敷地がどこかわからないので、とても広いとしか言いようがない。
神社を横断するように山中の散策をすると、とにかく紅葉がきれいだった。ところどころ十三重塔や本殿が現れて、そのまわりにも若干小さめの建物がたくさんあった。

散策を終えて、恐らく神社の出口付近だと思う。数人のお年寄りが休んでいた。近くの椅子に腰をかけると、その方々が食べていた菓子と一杯の茶を頂いた。
茶葉を変えずに何度も湯を注ぐものだから、お湯みたいだったけど、渇いた喉に美味しかった。
しばらく雑談をした後、礼を述べて談山神社を出た。教わったバス停に向かい、バスと電車を乗り継いで信貴山に向かう。信貴山は奈良と大阪の間に位置する山々で、くねくねとした坂道を登って、観光ホテルの看板を目にしたときはほっとした。


古いけど大きな旅館だった。チェックインをしていると旅館の人がこういった。

「お客様、お風呂は遅くなると混雑をするので、早めに入って下さい」

部屋に荷物をおくなり風呂に入って、大浴場では目の前の緑を独占していい気分だった。このまま一日が済むかと思っていたが、一歩遅かった。
脱衣所で身体を拭いていると、昨日の修学旅行ではないだろうが、大量の中学生が入ってきてガヤガヤ。とにかく自分の衣服をもって、空いたところに批難。

三十三間堂のお坊様も、こんな状況だったのではないかと思う。
まあ湯船で出会わなかっただけ、よかったのかもしれないが。

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