セピア色の歌

歌詞の誤解

童謡のメロディーは、古いアルバムのようで、そこに写っている自分は、意味も判らずに歌っていた。歌詞はすぐに覚えたけど、中身は考えたこともなく、とんでもない間違いもたくさんあった。

夕焼け小焼けの赤トンボ 
負われてみたのは・・

赤トンボの大群に追いかけられた思っていたけど、今まで口にしなくてよかった。

十五で姐えやは 嫁にいき
お里のたよりも 絶えはてた

作詞家は三木露風。もう一つの間違いは、露風の姉が十五歳のときに嫁にいったと思っていたこと。ずいぶん若いけれど、武家の男児なら元服をした年齢でもある。でも、実際にここでいう姐やとは、露風の世話をする若いお手伝いであった。その娘がいつ嫁にいったかはわからない。

うさぎ追いしかの山 
小鮒釣りしかの川

長らくうさぎが美味しいと思っていたのには訳があって、それはもう一つの童謡「待ちぼうけ」にある。

待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと野良稼ぎ
そこに兎がとんででて
ころりころげた木の根っこ

この男は運よく兎を手に入れて、以後は働くのをやめてしまった。当然兎を食べただろうから、兎が美味しいと思い込んでしまった。

貧困と残酷

誤解ばかりでなく、貧困や残酷さにもたいした違和感をもたずに受け入れていた。

チイチイパッパチイパッパ
雀の学校の先生は
鞭をふりふりチイパッパ

可愛い歌だけど、鞭を振るのはどうも穏やかでない。実際の鞭として使うのか、あるいは指揮棒のようなものだったか、そこには大きな違いがあるが。
でも、自分が小学校のときには音楽の先生に木琴のバチで頭を叩かれたので、これはものすごく痛かった。今でも小学校の友人に会うとこんな話題がでる。

歌をわすれたカナリヤは
後ろの山にすてましょか
いえいえそれはかわいそう

この歌詞で、鞭はこの三番に登場する

歌を忘れたカナリヤは 
柳の鞭でぶちましょうか
いえいえそれはかわいそう

かわいそう、がついてくるからいいようなもので、柳の鞭は明らかに懲罰の一環である。それにカナリヤの場合、歌は求愛の行為として歌うのであって、人間のように年がら年中歌っているわけではない。

山寺の和尚さんは
猫をかん袋におしこんで
ポンとけりゃ
にゃんとなく

蹴鞠のような遊びを想像するが、これでは猫もたまったものではない。鞠くらい布を丸めてこしらえればよさそうだけど、これも貧困がもたらす光景だった。

雨が降ります雨が降る
遊びに行きたし傘はなし

北原白秋の作詞で雨。今、傘と言えばほとんど使い捨てで五百円、三百円という値段。しかし、当時、傘は高価なもので、なくすとすごく叱られた覚えがある。この貧困に輪をかけたのが敗戦だった。ソ連の抑留から帰る息子を待つ、岸壁の母のような曲もあったけど、貧困の中にもそれを明るく歌い上げたものが多くあった。
青春ドラマの青い山脈の主題歌は、軽快なリズムの中に当時の世相が歌われて「古い上衣よさようなら」、「雨にぬれてる焼けあとの」。

東京キッドに登場するのはチュウインガムとマンホール。この場合、マンホールとは工事現場や空き地に横たわる太い土管のようなもので、雨露をしのぐねぐらになった。

悲しみ

その敗戦の中で、私がまたしても大きな誤解をした歌がありました。

赤い靴履いてた女の子
異人さんに連れられて行っちゃった
横浜の波止場から汽船に乗って
異人さんに連れられて行っちゃった

時代の背景を全く誤解していた。米兵を父にもつ子供が、兵士の引き上げとともにアメリカに連れていかれたと思っていたのです。
ところがこれは全くの勘違いで、背景は明治の時代だった。北海道の開拓に行く夫婦が、過酷な環境を生き延びるために、子供をアメリカ人宣教師に預けて行ったというもの。

他にも、野口雨情の歌は物悲しいものが多い。

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ

この歌詞の二番

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こはれて消えた

シャボン玉とは子供の命を想起させるもので、雨情の子が幼くして亡くなった時の悲しみを歌ったもの。もちろん、赤い靴にしろシャボン玉にしろ、古い時代のもので背景の解釈に異論はあるが、貧しい社会で子供が夭折することは、稀ではない。

雨情の生家は茨木県磯原にある名家で、決して貧しい家ではない。しかし、社会全体が貧しければ、寒さと栄養不足の中で、子供の死は珍しいものではなかった。同じころ、私の父は9人兄弟の長男として生まれた。しかし、その中で成人をしたのは5人。

童謡とは貧しさと、悲しみの中に、多少の明るさと楽しみをもたらしたもので、豊かになった今でも、懐かしいセピア色のメロディーとして心に響くのです。

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