自由が丘遺産2靴店

自由が丘の隙間

自由が丘の駅ができたのは昭和4年。それまでは九品仏駅と呼ばれていて、改札口があったのは今より少し渋谷寄り。自由が丘デパートとひかり街の間であるメインの通りは今のすずかけ通りで、当時駅前の一等地にあったのが水野靴店。

今は看板の文字も日焼けをして、消えてしまった。昼間はガラス戸越にサンダルや下駄が見えるのでそれとわかるけど、店を閉めてカーテンを引くともうただの小屋。80歳くらいに見える店主は、奥に引っ込んでいることが多く、声をかけるとのそっと顔を出す。いらっしゃいと言ったあとは何故か雑談が始まる。

以前は近くに豆腐屋もあって、豆腐を買いに行くときは鍋をもって、この中に水と一緒に入れてもらったものだ。今じゃスーパーに行けばプラスチックに入った豆腐が並んで、あれじゃ勝てないはず。店の隅を見ると靴の修理の値段票があって、これもかなりの年代物。平成元年とあるから、もう35年も前になる。値段票を見る私の目線に気づいたのか、今度は修理の話。

「自由が丘には靴の修理屋が7件もある。専門に修理ばっかりやられたら、そりゃかなわないよ」
古い店が次々と姿を消す理由を述べて、ようやく商売の話。「ところでお客さん何を探してますか?」
「普段履きのサンダルですが」
「どこに住んでいなさる?」

私はてっきり住んでいる街を聞かれたと思った。
「ここです」

こう答えると
「ここは俺んちだよ。あんたの家はどこ?庭はあるのかい?」
「あります」

本当は庭なんかないけれど、夏休みに那須の貸別荘を借りたのでこう答えた。
「じゃあ、この形だね。水でじゃぶじゃぶあらえるから」
「靴のサイズは?」
「25.5センチです」
「じゃ、Мだね」

箱から無造作にサンダルを取り出して
「一応これ履いてみて」

出されたサンダルに足をいれながら、横の棚を物色してていると
「あんたの足は幅広、甲高。典型的な日本人の足でこれが一番」

どうも選択の余地はない。とくに不具合も感じないので、これでいいと答えると
「色は何がいい?」

ここで、初めて自分の希望を聞いてもらえた。
「黒です」
「はい、1050円」
これで買い物は終わり。

私は昔からサンダルはここで買うようにしている。足に怪我をしたと言えば、フリーサイズのサンダルが出てくる。
人前に出るので、ちょっと品のよいものと言えば、サンダルの横綱がでてくる。もう何回もきているのだけど、決して私の顔を覚えない。だから何回も住んでいる場所を聞かれる。

開店と閉店

この店のすぐ近くには、おしゃれな靴屋が何件かある。
数年前にできたばかりの靴屋で、足のサイズを丁寧に測って、最も私の足に合った靴を買った覚えがある。保証書もあって、底が減ったらすぐに交換をすると聞いたけど、帰りにふと覗いたら、店は閉じて棚も空っぽになっていた。
自由が丘の店は一年の間に2割ほどが入れ替わると聞いた。その理由はおそらく家賃の高さ。長続きをする店はよほど繁盛をしているか、あるいは自前の土地で地味に続けているか。

筑波のようにゼロから作った町は、とても機能的だけど、どうも人間味が感じられない。我が足する自由が丘はお洒落な洋品店や、菓子屋に混ざって赤ちょうちんも残る。その自由が丘も近々大規模な再開発予定されていて、きっとお洒落で未来空間のような街に生まれ変わるのだろう。

しかし、いくら街が新しくなっても、頑として形を変えないこんな靴店が残る。ただ、店主が元気な間かもしれないなあ。