続・テオ君の物語

一宿一飯

朝夕の涼しさを感じる頃、いつものようにテオ君と近くの公園を一回りしてくると、かすかな茜色の空がきれい。同じ速さで歩くものだから、リードが引かれることもない。ぶらぶら歩いてふと、足元を見ると2人のはずが3人になっていた。1匹のゴールデンレトリバーがテオ君と並んで気ままに散歩中。
「君1人じゃないだろう?」
尋ねてみたが返事があるはずもない。立ち去る気配もないので、とにかくゆっくり家に向かう。しかし、5歩行けば5歩ついて来る。10歩行けば10歩来る。とうとう我家の前まできて、ここで置き去りにするわけにもいかない。
「上がっていくかい?」
お客さんは自分の家のように、さっさと上がりこんだ。このまま居候を決め込まれても困るし、第一飼い主さんが探しているだろう。とりあえず駅のお巡りさんに知らせて帰ってくると、お客さんはソファーの上。多分、これが普段の過ごし方。

テオ君と2匹で仲良くドッグフードを食べる姿を見ながら、これが犬でよかったと思う。娘がこんな風にどこかの風来坊をつれてきたらどうしよう。食後はそのまま深夜に突入したが、事態に変化はない。テオ君とお客さんは、寄り添うように寝て朝を迎えた。

そこに交番から電話があって、「遺失物を受け取りに来た人がいる」とのこと。いくら職業とはいえ、どうして飼い主が見つかったと言えないのだろう。ともかく2匹を連れてでかけると、果たして飼い主さんは自由が丘の駅で待っていた。2つか3つ先の駅から来たという。
警察官の目の前で引き渡しが行われたが、財布の落とし物と違って書類のサインは必要がない。
お客さんには何回か前科があって、低めの垣根を飛び越えて、度々気ままな旅にでかけていたとのこと。なかなか羨ましい話だけど私の場合、妻の垣根が高すぎて飛び越えることができない。決死の覚悟で飛び越えると二度と帰れないかもしれないし。

脱出の名人は別れも慣れたもの。ちらっとテオ君を振り返り、さっさと行ってしまった。

父とテオ君

父は70歳の頃、胃癌の手術をしてからしばらく診療を休んでいた。少し弱音も吐くようになって、とくに体調が悪い日には診療をやめたいと口にする。それでも、ぶつぶつ言いながら10年も目医者を続けたが、80の声を聞くころ、処方せんに書く薬の名前が出てこないと言って引退を決意した。

特別なセレモニーを行うわけでもなく、ある日を境に数十年間続けた日常を変えて、永久の休暇に入ることになった。急にあり余る時間をもってしまったが大した趣味もなく、人付き合いも苦手な父は外出をしない。母に追い出されるようにゴルフの練習場にでかけるが、間もなく洋菓子を片手に帰って来る。

後にわかったことだが、父はゴルフのクラブを練習場に預けて、そのまま向かいの洋菓子店でコーヒーを飲んでいたとのこと。やがて似非のゴルフもやめてしまって、居間だけが生活空間とになると、ガラスの鉢の中でじっと動かぬ金魚のよう。
ソファーは父のお尻の形にへこんで、こんな生活が続けば、当然のことながら物忘れは一層ひどくなる。テレビが唯一の相棒となって、いつも同じ格好で同じソファーに座り、時々テオが入ってくるとこう言った。
「ほうー、テオちゃんですか」
テオはみんながでかけて1人だけになると、仕方なく父の部屋にやってくる。父の膝に頭を擦り付けて、気が向けば顔をなめて見て、ソファーに飛び乗って横に座る。父が食卓につけばその横に座る。

動きが遅くなった父の食事は、スプーンになみなみとすくったスープを口に運ぶように、ゆっくりと箸を運ぶ。テオはそっと父の箸に顔を近づけて、箸がもうすぐ口に届くというあたりで箸先をパクリ。
「あーあーあー、テオちゃん」
怒るわけでもなく、父は再び皿に箸を伸ばす。同じことをすれば同じことが起きて
「あーあーあー、テオちゃん」
こうしてのんびり過ごしたのも数年。次第に認知症の振る舞いが目立つようになって、人の区別がつかなくなっていった。

まっ先にわからなくなったのが私で、いやに丁寧な言葉を使う。当初は私も敬語を使って応対をしていたが、ある時「あなたはどなたですか」と言われて清明な意識をもった父は、既にこの世にいないことを知った。
それでもテオがやってくると
「ほうー、テオちゃんですか」
昼間も大半を眠って過ごすようになり、今度は自分の妻を実の母親と思い込むようになった。もはや我が家の狭い空間に、見知った家族は誰もいない。それでもテオがやってくると
「あー、テオちゃん」

父がテオと過ごした時間はたった10年余り。それでも世界で1人孤立した父にとって、テオ君は最後までほのぼのとした友であった。

トランプ遊び

その日は中学生のお客さんが5人やってきて、テオ君は大喜び。あっちに走って、こっちで取っ組み合って、ボールを追いかけて、椅子を蹴飛ばして、我家の居間は何も壊れなかったのが不思議。しかし、部屋の中でそうそう暴れ続けるわけにもいかず、1人が大人しい遊びを提案した。

「トランプをやろう」
「そうだ、うすのろをやろう」

急に仲間からはずされたテオ君は、不満気にソファーに上がったが、お客さんから視線をそらすことはない。

「うすのろ」とは5人が輪になって座り、セーノの掛け声で配られたカードのうち、1枚を右の人に渡す。左側の子から新しいカードをもらって、自分の手のうちを揃えていく遊びである。
まん中には子豚の人形が人数分より1つ少ない4つ。最初にカードを揃えた子が、無言のまま子豚の人形をさっと取る。後の4人はもう自分のカードはどうでもよい。一斉に子豚を取りあって「ワー、キャー」。最後にあぶれた子が、「うすのろ」と呼ばれる。
受け取ったカードを瞬時に見分け、自分の手を整理しながら、誰かが子豚を取らないか、臨戦態勢で見張りを続ける。これは集中力の勝負である。

最初の1回戦はきちんとできた。テオ君にはどんな遊びか、わからなかったから。でもこんなに面白そうなゲームを見てしまった以上、参加をしないわけにはいかない。ソファーを降りて、輪の中に加わって、きちんと座って子豚の人形も1つ増やした。

「うすのろ」が始まって、セーノの掛け声とともにカードはテオ君の前を素通りするけれど、子豚とみんなの様子を伺う顔は真剣そのもの。最初の1人がカードをそろえると子豚を取る。あとはみんなで子豚の取り合いで、こうなるとテオは誰よりも早かっそのた。真ん中に突進して、子豚をくわえて得意げに1回りをして見せて、「うすのろ」と呼ばれることは、1度もない。

1番の人気者になってトランプは続いたが、ここで問題が発生。なぜか「うすのろ」が2人できてしまうのである。
その理由はテオ君が子豚を2匹取ってしまうから。何回注意をされても、やめないでついに最終宣告を受けた。

「テオちゃんは、もう入れてあげない」

輪の中に無理やり入ろうとするテオ。でも肘鉄をくらって再び追い出される。何回も追い出されて、しょんぼりと私の足元に座った。
「よしなよしな、トランプなんてつまらないよ。こっちでお肉のトランプ遊びをしよう」
薄いお肉を何枚か食べて、ようやく機嫌を直したテオ君。さあ、お散歩でも行こうか。

続・テオ君の物語” に対して1件のコメントがあります。

  1. likeM007 より:

    愛しいテオくん❣️
    目の見えるような描写
    垣根 飛び越えないでくださいね
    エッセイを読みたいので‍️☺️

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です