こころの5:一寸の虫にも

昆虫採集

「お昼ご飯を食べてから蝉を取りに行きました」
こんな日記をつけたのは、夏休みの宿題だったから。取ってきた蝉は草や小枝と一緒に虫かごに入れると、しばらくは弱々しい鳴き声を上げるが、やがて動かなくなって、気がつけば死んでいる。するとまた
「お昼ご飯を食べてから蝉を取りに行きました」


トンボは蝉と違って取るのが難しい。昆虫採集をする子供にとって、相手はせいぜい赤トンボ。トンボの王様オニヤンマは高嶺の花で手が出なかった。ところがある日、仰向けになって道端に倒れているオニヤンマをみつけた。全く元気なオニヤンマで、何かの拍子で地面に落ちてしまったのだろう。亀と一緒で、トンボも仰向けになると起き上がるのが難しい。浦島太郎は亀を助けたけど、私はこの可哀そうなトンボを捕まえてきた。
最初は細い糸を胴体部分に結んで、糸が届く範囲で飛ばしていた。しかし、だんだん物足りなくなって、今度はトンボの翅の先っぽを少し切って部屋に放つと、バランスを崩したトンボは遠くに飛んで行けない。部屋の中をちょっとずつ飛んでいたので、安心して窓を開けると、ある瞬間にトンボは、勢いよく外に飛び出していった。

虫と遊ぼう

見るだけならば、昆虫館に行けばよい。そこには貴重な虫の標本が沢山並んで、日本中の昆虫を見ることができる。ただし、どんなに珍しくてもきれいでも、動かない虫を硝子越しに眺めるだけ。きれいなお姉さんだって、動かない写真を眺めているよりは、ちょっとお話しをして、不適切にならない範囲の触れ合いがあった方が、楽しいに決まっているのである。昆虫の場合はまず自分で獲るのが醍醐味。そして虫かごの中でゴソゴソ動いて鳴いて、餌を食べるところを眺めて楽しむもの。時に失敗をして死んでしまうこともあるけど、それは仕方がない。

世界が知るアンリ・ファーブルの遊び相手は昆虫であった。キャベツ畑の蝶々を観察して、ボール紙にキャベツの汁を塗ってみたところ、思った通りに蝶々は卵を産んだ。子供がこんな体験をしたら、夢中になって次の発見を目指すだろう。ファーブルの好みの昆虫はフンコロガシだったけど、糞を転がすところを見て遊んだかどうかはわからない。アナバチに刺されたコオロギの麻痺を観察する遊びは、もう科学実験のレベルと言ってよい。こうした遊びの結果、生まれたのがファーブル昆虫記。
ところが最近はどんな生き物にも優しく接する風潮ができて、昆虫採集をしたときに言われることは、
「よく観察をしてから放してあげましょう」
観察とはどれくらいのことを言うか。1時間か1週間か。こんなつまらない優しさがまん延したのは何故か。いじめや各種ハラスメントに対する反動か。虫に感情を移入して、擬人化した映画や歌が原因かもしれない。

五分の魂

ディズニーが描いたバグズライフは、バッタとアリの物語。日本にはみなしごハッチや、ミツバチマーヤもあった。チェリッシュが歌ったのはテントウムシのサンバ。

赤青黄色の衣装をつけた
テントウムシがしゃしゃり出て
サンバにあわせて踊りだす
・・・

秋口に聞こえる虫の音は。

あれすずむしも鳴きだして
リンリンリンリンリーンリン

風流ではあるけれど、これを聞くためには鈴虫を虫かごにいれて、ナスやキューリを餌にする。さらに鰹節を入れるのがポイント。これを入れないと鈴虫が共食いを始めるからで、虫の世界は思ったほど風流ではない。
オスのカマキリが交尾の際にメスに食べられるのは有名な話だけど、オスは食べられながらも交尾をやめることはない。万一、生き残った場合は、また次のメスを求めて、交尾にでかけるのがカマキリの生態。

キバチやハバチは2憶年も前に誕生して、その後は大した進化はしていない。遺伝的に組み込まれた本能と反射行動だけで生きてきたハチはかなり完成された生態である。そんな仕組まれた記憶をもつ昆虫は多分、恐怖心をもたない。もちろん良心もやさしさももたない。

そして人間は、こういう生き物に対して、かなり冷酷である。赤とんぼや蛍のように歓迎される昆虫もいるけれど、それは人の身勝手な感情で、こと害虫となるとゴキブリも蚊も、容赦なく殺されるのが現実。
ここ数十年、日本の昆虫学は昆虫の生態を研究するというより、もっぱら殺虫剤の開発に費やされた。その結果、ハエや蚊はめったにみなくなったけど、蝶々も蛍もいなくなった。。うなぎの稚魚が激減したのも、何か関係があるかもしれない。おかげでうな重の値段は倍になった。

一方で、違った形の進化をした生き物は、心をもって人と交流をする。犬も猫もクジラもイルカも。イギリスではキツネ狩りが禁止をされた。徳川綱吉が発令したのは生類憐みの令。

人がためらいもなく駆除をする生き物と、共存を目指す生き物の違いは何か。

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