こころの9:氏か育ちか

蛙の子は蛙

三国連太郎は勲章ももらった名優だけどあまりに奔放な人生で、家族にはずいぶん迷惑をかけた。子供の佐藤浩市はそんな親を嫌って長い間、口も聞かなかったそうだけど、気がつけば俳優になっていた。
似たような諺があって「この親にしてこの子あり」。我が家の風景はこんな具合。

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生まれとは遺伝的な要因のことで、最もわかりやすいのは肌の色。アメリカが独立宣言をしてから200年以上が経つけれど、いまだに白人と黒人の違いは一目でわかる。
マイケルジャクソンの場合は白人よりも白くなってしまったけれど、あれは尋常性白斑と言う病気の治療をしている過程で、白くなったものである。
他にもわかっていることがあって、身長の場合は70%、知能は50%くらいが親の遺伝子で決まる。
反社会的な人間に育ってしまう原因は、たいがい盛り場や友人など、環境のせいにされるけど、これも半分くらいは遺伝的な要因で決まる。他にもいろいろあるけれど、数え上げればきりがない。
こんなことがどうしてわかるのか。遺伝子が全く同じ一卵性双生児でも、生まれてから過ごす生活環境が違えば、いろいろな人生を送ることになるので、このあたりを分析すると、およその見当がつくのである。
昔、東大の横に双子の子供ばかりが登校をする学校をみたけど、あれは研究のための学校だったのだろうか。

遺伝とは親からもらったDNAの情報だから、変えようと思って変えられるものではない。でも、人が成長をしてそれぞれの「人となり」が決まるためには、変えられる要因もあってそれは育ち。
生まれと育ちと、どちらがどれだけ影響するか。個人の好みや甲斐性まで推し量るのは難しいけれど、育ちの要因の中でも、特に大切なのは生まれてから数年間の生活環境である。この時期に子供の人格が一応の完成を見るから。

三つ子の魂

ちょっと難しい話になるけれど、生まれて間もない頃の脳には、大人の数倍もの神経細胞がつまっている。だから赤ちゃんの頭は大きいのかな?

しかし、数年の間に受けたさまざまな刺激により、必要な神経細胞がよりわけられて、大半の神経は消失するのである。こうして残った神経回路によって、生涯にわたる人格の基礎ができあがる。同じように心の基礎も。

 ただ、人格の話をしてもわかりにくいので、例えば視力の場合。同じように赤ちゃんは大人の数倍の視神経線維をもって生まれてくる。大切なのは生まれてから数年で、この時期にものを見るという刺激を受けて必要な神経が発達する。この刺激がないと、生涯視力は悪いままになってしまって、これを弱視という。
絶対音感は大人になってからでは習得できない。だから習い事を始めるのは四つから。

                      蝶々を追いかける子

容姿や能力を含めて、この年齢である程度「人となり」が決まってしまうとしたら、その後の人生はどうなるか。
仮に受験戦争を例にとれば、この時点でハンディができてしまうと、運の悪い人は少し苦労をしなければならない。ここから先は子供の努力が要求されることになって、好きなサッカーもピアノも受験のためにやめなければならないのは悲しい。

遺伝といえば遺伝子だけの問題だけど、「氏」という言葉には人格が形成されるまでの、幼少期を過ごした環境の意味も含まれるのかもしれない。
そう思って自分の幼少期を思い起こしてみるが、もちろんあいまいな記憶だけ。
それでもアリを捕まえて、つつじの花の根本をなめて蜜の甘味を探していた。暗くなるまで外で過ごして、家には大概誰かがいたけれど、たまに誰もいなくなったときには、隣の家に遊びに行った。
今思えば常に自然と社会に触れ合っていたように思う。

でも、今の子供は幼少期の大半を保育園で過ごして、近所の子たちと遊ぶこともない。一人の時はアニメとゲーム。危ないところは川や木の上ではなく、車社会の道路。

子供にはいろいろなスタートの仕方があるけれど、学校という監視社会で成人をするまで、どんな道のりが待っているかわからない。
しかし、生まれてからの環境だどうであれ、一代や二代で遺伝子がかわることはない。良くも悪しくも、今の環境に適した子は次世代に遺伝子を残して命をつなぐ。これが生き物の宿命。
たまたま適応が難しかった子は、遺伝子を残さなかったけど、これもまた運命。
一見、便利で安心して暮らせる世の中だけど、少子化とは、あまりにハードルが上がってしまった現代の狂った豊かさに見えてならない。