こころの13:心の舞台

知能の進化

道具、火、芸術あるいは言葉、宗教など。

人と動物の違いと言われたけど、猿は石の斧を使うし、ウグイスは必要以上にきれいな歌声を聞かせてくれる。道具も音楽も人間の専売特許ではない。 
特に群れを作る高等動物にとって、言葉は絶対に必要なもので、仮に形は違っても、それに準じる通信手段があるに違いない。
言葉のおかげでみんなが同じような考えをもち、規律ができてそれを信じれば、宗教の原型ができあがる。群れ同士の争いがおきても、この規律に従って戦えば、戦争も優位に進めて、生き残ることができるはず。
宗教とは何か、軽々しくは言えないけれど、それは生き物の進化と、矛盾するものではなかった。
十字軍やユダヤパレスチナ戦争などは宗教の戦いで、これがもし動物だったら、縄張り争いにも大いに貢献するだろう。
もとを正せば人間と、動物の間に決定的な違いなどなくて、あるとすれば優れた知能で、それも絶対的な質の違いではなくて、レベルの違いだけだろう。
知能は脳の大きさに影響を受けるけれど、もっと大切なのは、体重に対する脳の比率で、これを脳化指数と言う。
最大の脳化指数をもつのはイルカで、精巧な言葉を操ることが知られている。
そして個々のイルカたちは、この文化的な群れの中で、少しでもよい地位を得ようとするはずである。そのためには自分と群れの関係を知って、うまく立ち回らなければならない。

  

ある時は仲間と協力をし、ある時は巧妙な駆け引きが必要になる。どうしたってイルカの知能は発達するわけで、その雑然とした知能を整理整頓をするのが言葉である。
こういう群れの最高峰にいるのが人間で、高度な知識をもとに、人間独自の行動をとるようになった。その知識とは何か。
ここから先は自分勝手な想像なので、もしかすると間違っているかもしれません。

死を知る

人は自分がいずれ死ぬことを知った。そうは言ってもイルカが死を知らないという証拠はありませんが。
人は生きている時間を意識する。限られた中で効率よく振舞い、老後にも備えなければならない。
でも、生まれた時からこんな努力ばかり続けると、一生追われる気分になって、返って不幸になりはしまいか? 我が家の猫はあくびをしながら、のんびり暮らしている。

平等と民主主義

人が社会の中で摩擦をおこさずに暮らすためには、イルカと同様他人の立場にたって、客観的に自分の行動を判断しなくてはならない。
そこで最初に学んだことは、自分が特別な存在ではなく、あくまで群れの一員であること。自分が他人の代わりを務めることもできるし、その逆もあること。
9回裏、ピンチになるとベンチから監督が出てきて、先発ピッチャーの交代を告げる。そしてリリーフの投手がマウンドにあがれば、ゲームは支障なく続く。

こんな役割の分担があちこちで起これば、人は誰もが平等であることを理解する。その結果、西欧では近代民主主義が生まれた。
これは道具を操ることよりも、芸術の鑑賞よりもはるかに大切なことで、人間の生活はまた一歩遺伝子の支配から遠ざかり、心の影響を色濃く受けるようになった。この近代民主主義を日本に紹介したのは福沢諭吉である。「学問のすすめ」に記された「天は人の上に人を・・・」
この一節を知らない人はいないだろう。
しかし、同じ福沢諭吉が数年後には「優生学」を取り入れて、人間の心も身体も遺伝的才能と性質で決まることを主張した。
「教育の力」に曰く、人には「上智」と「下愚」がいて、愚者はいかに勉学に励むとも、成果は望むべくもないと。
あのナチスが他民族に強いた、安楽死の思想的背景である。おまけに白人との婚姻を奨励して、福沢諭吉の「学問のすすめ」は消え失せた。

交換

もう一つ、人が始めたことは物の交換である。サルとリスがクルミや果物を交換するという話は聞いたことがないが、それらしいことは起きるのだろうか。
ぶつぶつ交換に始まって、貨幣ができて、人の生活は便利になった。ただし、富の集中という弊害もおきた。
食糧なら食べる分量があればよい。たくさんあっても腐るだけだから。でも、お金ならば蓄えができる。


富豪たちが割拠をして、生き残りの戦いを始めると、無限の富を必要とする。
富は生活から切り離されて、庶民にとっては著しい不平等に見える。しかし、これは不公平であって、平等とは少し異なった意味を持つ。
柔道やボクシングで、体重別に分けて試合をするのが、公平の概念なのです。

ともあれ平等の概念で人はどう変わったか。
 恩を感じればありがとうと言う。
 過ちを犯せば謝る。
 挨拶をして人の様子を伺う。

一見平凡な日常の中にも、人は時折、大きな感動を覚える。
それは何かの発見であり、達成感を感じたり、人との一体感、尊敬、感謝の念など。懐かしさもここにはいるかな。
 
 心とは感動が活躍をする舞台で、生涯の幕が閉じるまでにどれほどの感動を味わうことができるか。それが遺伝子の支配から解き放たれ、心に重きをおいた自由な余生の醍醐味。