こころの8:自分探し・科学編

人の中心

トカゲは追われると尻尾を切って逃げる。タコはあまり空腹になると自らの足を食べる。もし足一本で満足しない場合、二本目の足を食べて、またその次を食べて、最後にはどこが残るか。
話はタコだから謎々のようだけど、これが人だったら最後に残る自分とは何か。
不慮の事故で手足をなくした人もいる。腎臓、心臓も移植をすれば代わりのものを使うので、これも何とかなる。

なんともならない部分が頭の中にあってそれが脳。いろいろな移植の話は聞くけれど、今のところ脳の移植というのは聞いたことがない。手足がなくなっても自分の中心は頭の中にあると思うが、ではその脳の中のどこか。
脳の細部については、かなり役割がわかっている。
例えば前の方が障害されると、問題を解いたり計画を立てることが不得手になる。思ったことを表現できなくなったり、自制心が働かなくなるなど。
頭の右側がやられると音や形が覚えられなくなる。左側の場合は人格が変わって堅物になったり、性欲がなくなったり。実際、ひどい性犯罪者には左側の脳を切除する治療法もあった。
後頭部が障害されると目が見えなくなる。他にも失語症だったり、健忘症だったり。
また、例えばりんご一つをとってみても、りんごの形を判断する部分、色を判断する部分、それがりんごであることを判断する部分はそれぞれ違ったところで、脳の中身は一見わかっているようで、つかみどころがないのです。

自分の境目

こういう脳の中でも、もっとも自分を意識しそうな部分があって、それは頭のてっぺんあたりにある「方向定位連合野」という部分。ここの機能は、どこからどこまでが自分の身体と認識する領域である。

ジル・ボルト・テイラーという脳科学者がいて、不幸にもその人自身が脳に出血をするという事件が起きてしまった。最先端の医療を駆使したあげく、奇跡的な復活を遂げた後、この先生は出血をした当時のことを記している。

その症状とはまず、身体の境目がわからなくなったこと。どこまでが自分でその先がどうなっているのかもわからない。身体は液体のようで、他の世界との区別がつかない。過去の記憶も未来の夢も霧散。全部が孤立してしまった。
他にも細かな症状が記してあるけど、問題はこんな状態になっても、それを冷静にみている自分がいたわけで、一体脳のどの部分か。

記憶

こんな風に脳の各部分は細かく役割分担が決まって、ジグソーパズルのように見えるけど、自分の中心は明かすことなく、想像以上に柔軟な対応をする。脳とは決して石頭ではないのです。
例えば脳内の数か所が同じ機能をもっていたり、どこかが障害されても、他の部分が代わりをしたり。脳の働きは流動的で、この中を探しても簡単にはつかまらない。

おそらく脳のどこかということではなくて、脳の神経細胞の中をインターネットのように駆け巡る情報の中に自分はいる。こういうとわかりにくいけれど、その情報とはこれまで蓄えてきた記憶である。身体の細胞はたいがい数年で置き換わるが、神経細胞はかわらない。だから子供の頃の記憶を持ち続けるけど、細胞間を駆け巡る情報は少しずつ変わる。

だから大昔の記憶を継続しつつ、自分はそこにいて少しずつ変わる。