昭和百年

テレビと黒柳徹子

昭和100年の掛け声があるけれど、明治100年に比べて、少し盛り上がりにかける。それは明治と昭和の世相を比べれば明らかなこと。その明治維新にはいったい何がおきたか。

最大の変革は大政奉還で、政権が幕府から朝廷に変わったこと。士農工商の身分制度がなくなり、義務教育が始まった。鎖国体制が終わって、近代国家が生まれるという大事件でした。
一方で昭和元年と言えば、元号が「昭和」になったこと。あとはNHKの設立と、地下鉄銀座線ができたことくらい。
銀座線浅草駅の地下商店街は今もそのまま。ほとんどそのまま残っていて、雑貨屋から各国の料理、居酒屋などゴチャゴチャな店が並んでいます。昭和初期の体験をしたかったら、ここに来るといいかもしれない。

昭和の始まりに、明治ほどの大転換はなかったけれど、その後数十年の間に継続しておきた起きた変化の方が大きかった。

当初、明るい話は少なくて、世界恐慌にともなう不況、満州事変に日中戦争、太平洋戦争。そして敗戦。私自身は戦後に生まれたので、記憶に残るのは経済復興が始まる時期だった。

居間には炬燵と火鉢があって、ラジオから聞こえてきたのは大相撲の中継。栃錦と若乃花の優勝決定戦。
大相撲がない時には子供向けのラジオドラマで、少年剣士の赤胴鈴之助。ヤン坊ニン坊トン坊は、猿の3兄弟が親を探して旅をする物語で、トン坊の役をやっていたのが黒柳徹子。当時二十歳くらいだったと思う。

昭和30年代になると、各家庭に普及をし始めたのが、テレビ、冷蔵庫に洗濯機。いわゆる三種の神器。
日本テレビのバラエティー「シャボン玉ホリデー」に登場したのは、クレージーキャッツとザ・ピーナッツ。NHKの「夢であいましょう」には坂本九と黒柳徹子。黒柳徹子はラジオの声優から、初代のテレビ女優になって、当時は網タイツの美脚も披露した。テレビができて以来の現役で、日本で一番のテレビ女優ではないかと思う。

黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」は世界一売れた本として評判になった。そのトットちゃんが活躍したトモエ学園は、我が家のすぐ近くにあって、文中に出てくる電車を利用した校舎も、しばらく残っていた。
ただ、この校舎もやがて5階建てのスーパー、ピーコックに変わってしまった。

医療


昭和初期のことだけれども、医療界で活躍したのは、御存じ野口英世。
かつて千円札の肖像画にもなった人物で、長期間アフリカに滞在して、梅毒や黄熱病の研究で知られております。ちょうど同じ時期、シュバイツァー博士もアフリカで人道的な医療に取り組んでおりました。

我が母校の教室にもシュバイツァー博士のカレンダーがあった。なぜか、その横には梶芽衣子さんの刺激的なポスターも貼ってあった。
野口英世もシュバイツァー博士も、同時期にアフリカで活躍をしながら、現地で生涯を遂げた人で、医療とはそんなものかと思っていた。

実際、我が家の近所にいた小児科の先生も、子供はいつ何がおこるかわからないと言って、自宅の寝室にも電話を置いた。24時間の診療体制をとって、いつ寝たのだろうと思う。

その他、志賀潔は赤痢菌を発見した細菌学者です。その志賀先生の名を拝して、赤痢菌の正式名はShigellaと言います。

秦佐八郎は梅毒の特効薬、サルバルサンを発見し、北里柴三郎は破傷風やペストの研究に大いなる成果を残した。

いずれもノーベル賞級の成果ですが、いかんせん国力の弱い日本からは認定されなかったのでしょう。

その北里柴三郎は野口英世についで、千円札の顔となりました。また北里大学の創始者、日本医師会の創設をした人物でもあり、その功績はいまでも脈々と日本社会に生きています。

当時の医療から、今の直美など考えられなかった。なおみ、ではありません。ちなみに直美という言葉を知らない方のために、直美とは医師が初期臨床研修を終えると、そのまま美容医療業界へ直行することを意味します。

高度成長の最中で、都知事が東龍太郎から美濃部亮吉にかわった頃、老人の医療費は無料になった。資金も潤沢にあったのだろう。
父の診療所は、小さな待合室が人でごったがえした。
今日はどうしましたかと尋ねると、患者からはあんまり暑いからという答えが返ってきた。クーラーが普及していない時代に、こんな笑い話が残っている。

高度経済成長

その高度経済成長期。サラリーマンなら誰でも、働いて働いて働いて働いて働いていたのであります。朝から晩まで、残業なんて当たりまえ。業績をあげるためなら、深夜でも明け方でも働いて、モーレツ社員ができあがりました。
自動車の走り抜ける音とともに、小川ローザのスカートが風にチラッと揺れて、「モーレツ」とつぶやくCMが人気だった。

東京オリンピック。東洋の魔女。体操日本。レスリング、重量挙げ。
新幹線の運行開始。
東名高速道路の開通。
大阪万博。こんにちは、こんにちは。
やがてオイルショック。

そして1989年、昭和天皇のご崩御。私は朝の通勤中に車のラジオでこのニュースを耳にしました。車を道路脇に止めて一礼。
昭和の時代を終えた。

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