ラーメン・伝統と進化

    汝が胸の谷間の汗や巴里祭


楠本憲吉の代表的な一句です。

巴里祭とはフランスの革命記念日に開催されるお祭りですが、映画のタイトルにもなりました。この祭りを舞台に花売り娘とタクシードライバーがおりなす、他愛もない恋愛映画ですが、もう歴史上の名作と言ってよい。楠本憲吉がまだ若くして、多感な時期でもあり、この映画に登場する女性の胸の谷間が、印象に残ったのかもしれません。 

楠本憲吉は俳人として知られる一方、多くの随筆集も出版をしております。旧制灘中学校では遠藤周作と机を並べた間柄で、文人である一方もう一つの顔があって、それは京都の老舗料亭なだ万の跡取りでした。

数ある著書は酒と女に関するものが多いけれど、料亭の育ちだけあって食べ物の話題も豊富です。その中の二つを覚えている。

一つは竹の子の最も美味しい食べ方です。料亭の裏に竹林でもあったのでしょうか。

それは朝早くに庭をきれいに掃くことから始まります。小枝のかけらもなく、きれいになった庭を裸足で歩くと、足の裏にチクッと当たるものがあって、それが地上に顔を出す直前の竹の子のてっぺん。

その周りの土を丁寧に掘ると、まだ陽に当たったことのない白い竹の子が顔を出す。その竹の子の廻りにアルコールをかけて、土の中で蒸し焼きにしてから掘り返す。これが絶品。かつて、我が家の庭にも竹があって、この方法を試したことがあるが、散々苦労をして収穫はわずかだった。でも、その他にもう一つ難関があって、この珍味は絶対に冷めないうちに食べなければならない。そのためには、朝から酒を飲まなければならない。こんな自分に嫌気がさして、この遊びは一回きりでやめにした。

もう一つはラーメン店の話で、楠本憲吉がどうしてこの店を訪れたのかわからないが、それは尾道の朱華園。地元では親しみをこめて「朱さん」と呼ばれている。

戦後、屋台をひいて始めた店で、そのラーメンは鶏ガラスープの醤油味。中華料理によく使われる背脂をのせたもの。地元の繁盛店で、楠本憲吉の随筆集には次のようにあった。
「我が人生でこれほど旨いラーメンを体験したことがない」

私の場合は、妻の実家が朱さんのすぐ近くにあるので、尾道を訪れる度に、立ち寄るようにしていた。朱さんには開店前から閉店まで、ほぼ途切れない行列できた。スープ造りはもちろん、この店主は何事も他人任せにせず、自ら麺を茹でて客に提供したので、厨房を離れることがない。

店は繁盛を続けて屋台から平屋へ、平屋から三階建てのビルに建て替わったくらいだから、収入はよかったに違いない。でも主は朝から晩まで、厨房から出る時間がない。金を使う間もない。立ちっぱなしの仕事も身体に負担を与えたかもしれない。数年前に店を閉じた。

主の多忙な生活を見たためか、家族を含めて跡を継ぐ人はいなかった。

自由が丘・麺事情


我が家の近隣でも、ラーメン店がたくさんできた。でも、濃厚でドロッとしたスープのラーメンばかり。若者にはこれが好まれるのかもしれないが、浅草は土手のラーメンを好んだ自分には、どうしても馴染めない。それでも、初めての店をみつけると、一度は入って歩いていたある日、「朱さん」によく似たラーメンに出会ったのです。

場所は尾山台の住宅街。駅から目黒通りに向かう銀杏並木の脇で、目立たない店の看板には「あすなろ」と書いてあった。背脂が浮いた醤油ラーメンで、その味についてとやかく言うと、わざとらしい食レポみたいになってしまうので、何も言わないが、とにかく私の好む味だった。

発祥は40年ほど前に、早稲田近辺で一条安雪という人が始めた、がんこラーメン。
窓には家系図のように、独立していった直系、若衆など店の名が並んでいる。
朱さんは最後まで一人で味を守ったけれど、がんこラーメンは多くの店主を育てて、日本中に広まった。
朱さんのように、味を守ってくれるのは嬉しい。でも、これを続けるには、主の負担が大きすぎた。

みんなが独立をすれば、がんこラーメンは続く。ただし、人も場所も違えば、少しラーメンの味も変わる。変わったラーメンが、受け入れられなければ、淘汰をされる。評価をされれば、繁栄する。これは、まるで動物の進化そのもの。

ご当地ラーメン

それにしても、日本にはなぜこれほどご当地ラーメンが多いのか。もともと中華料理だったラーメンが、今や代表的な日本の食になった。
日本には昔から、異質なものを取り入れると、これを改良して、さらに高い次元のものに引き上げる土壌があった。

古くは漢字。ひらがな、カタカナのもとになった。明治になるとカレーにコロッケ。車はトヨタ、電化製品はソニーが世界を席巻した。

フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロースはこれを日本人独特の能力と評価します。
ストロース先生は、今ある道具と材料を使って、新たなものを開発する日本人の能力を、わかりやすい具体例を挙げて説明している。

その、具体例こそがラーメン。その結果、札幌ラーメンができ、東京、尾道、博多、熊本、それぞれのラーメンができた。さて、みなさんはどれがお好みでしょう。

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