三つ子の魂百まで


最も古い記憶は多分3歳くらいだった。故郷にある小さな精米所を眺めていたときの風景を鮮明に覚えているが、これが本当の記憶なのか、後からそんな気がして、そのまま信じてしまったのかもしれない。そういえばあぜ道を走って転んだこともあった。
この時期の脳は未完成で、後々まで残る記憶は極めて少ないけれど、成長過程にあって後の人格形成に大きな影響をおよぼす。

三つ子の魂百まで

源氏物語に記されていると聞くけど、確かめてはいない。少なくとも当時は数え年だから、三つ子と言えば満年齢の1~2歳。

赤ちゃんとはいえ、生まれてきた時に、脳の構造はほぼ出来上がっている。だから、心臓も動くし、息もする。食べるとか寝るとか、生きるための基本的な機能はできあがっているのです。
何が足りないのか。ミクロの単位でみると、脳神経の細胞はたくさんあるけど、細胞同士の回路がうまくできていない。シナプスがない。
三つ子と言われる1~2年の間に何が起きるか。それは外界からの刺激によって、必要な神経細胞同士が適切につながって、脳内ネットワークができるのです。
コンピューターに例えるなら、ハードはほぼ出来上がっているけど、ネットワークが十分でないことと、各種のソフトがインストールされていない。だからデータもない。でも、これからいろいろな刺激を受けて、ネットやソフトができあがっていきます。

カモやガチョウは生まれてすぐに目にしたものを親と思って後を追う。これは生まれながらカモに備わっている知能ですが、これほど極端ではないにしろ、人の子だって初めて見るオッパイを吸うのだから。

その後、母親に抱かれたり、話しかけられる行為が刺激になって、脳は順調に発達をします。それがいずれ、対話だとか論理だとか、高度な機能につながっていく。
赤ちゃんにとって、母親との交流が大切なのはこういう理由です。

例えば視力の場合、物の形を見ること自体が刺激となって、視神経が発達をします。私は眼医者なので、脳よりもこちらの話の方が得意です。
大人の視神経には、だいたい百万本くらいの神経線維がありますが、生まれたときにはこの何倍もの神経があった。ただし数が多いだけで、十分に機能をしておりません。
これから、物を見る刺激によって、必要な神経同士が接続をして視力が上がっていくのです。必要のない神経は消えていって、結局、百万本くらいにおちつくという次第です。

この時期に光の刺激がないと、視神経が発達をしないので、大人になっても視力がでない。この状態を弱視と言います。
片眼だけがひどい遠視などの理由で、ものを見ないまま育ってしまうと、こんな状態になってしまいます。

脳の場合はもっと複雑です。母親の声を聞いて、顔を見て、ふとんにさわって様々な刺激を受ける。こうして基本的な知覚や運動の機能が発達をしていきます。最初の一年の間にも神経回路はどんどん出ててきます。
首がすわる。
お座りをする。
ハイハイをする。
立ち上がる。
言葉が出る。

こうして、2歳までには脳の8割り方ができあがる。
「三つ子の魂百まで」とは、3歳くらいまでに、将来の人格や気質の土台ができあがって、人生に大きく影響するという考えです。
魂が健全ならば、自分に自信をもって、生きていこうという意欲が出る。
しかし、今は脳科学やら心理学が発達をして、こんなことを言っていますが、源氏物語の時代に、赤子の将来を見抜いていたとことには、改めて驚きます。
当時は飢餓や母親の若死になどで、順調に育たなかった子供を多くいて、このような傾向を知ったのでしょうか。

以前「氏か育ちか」という問題について、考えてみたことがありました。結果は、「氏」による生得的知能と、「育ち」による獲得的知能が入り混じって、人格ができあがるという結論でした。
その生得的知能と獲得的知能が最も激しく入り混じる時期が、2歳までであるような気もします。

ところで現代の三つ子はどういう環境で育っているでしょうか。
わずかな記憶ではあるけれど、私自身はあぜ道や田んぼの記憶がある。大家族の中で育ったので、母に限らず、常に誰かがそばにいました。
でも、今の子供が見るのは山や畑など自然の風景ではなくて、テレビの画面。忙しくて相手をしてくれない母親の声のかわりに、2歳児用のアプリがあるくらいだから。

この子供たちの魂が、どう発展するか。それがわかるのは、100年先ということになるかもしれません。

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