余生の支度
60歳のときに紫斑病を患って、長い入院生活を送ったことがある。高層ビルの病室からは降りていけない風景を毎日眺めていた。

70代
この時からまじめに余生を考えるようになって、まずは10年分の計画をたてること。その先は想像もつかない。
具体的には10年先の暮らしぶりを覗いてみようと思って、手に取ったのは城山三郎氏の著書「そうか、君はもういないのか」。城山氏が七十歳のときに書き始めたもので、当時の自分から見れば十年後の世界だった。
それは城山氏の日常を記したメモで、具体的な月日と体験が記されていた。歯はぼろぼろ、身体はふわふわ、ふらふら、物忘れも激しくなった。
こんな身でも目指すはらくらく鈍、どんどん楽。これは城山氏の造語かもしれない。楽しいことだけ考える。嫌なことは考えない。つまらないことに目を向けず、楽しく楽に・・・
今を楽しく生きればよいという発想だけれども、実際には城山氏が全く反対の生き方をしていたから、この言葉に気持ちが踊ったのではないかと思う。
先人のメモを参考にしながら、その10年が過ぎて自分が70代になった。わかったのは城山氏の指摘が全く正しかったこと。歯はぼろぼろ、身体はふわふわ、物忘れ。
若い頃に感じた不安や意気込みはどうでもよくなって、年とはこんなものかと思う。
80代
次に参考にしたのが、アメリカの評論家として知られたマルコム・カウリー著「八十路から眺めれば」。
これはカウリー氏が80歳の誕生日を機に、老年について執筆を始めたもの。80歳の人生は、80歳にならなければわからないから。
カウリー氏の記した生活は、城山氏に比べて10年老いている分だけ、厳しい状況になる。
考え考え、段階を踏んで仕事をする。骨に痛みを感じる。去年よりも足先が遠ざかった。階段を降りる前に一瞬ためらう。
こういう老いは、自分では気づかない。周囲の人のまなざしで、老いを理解する。
そう言えば、発車間際の電車に飛び乗ろうとしたご婦人とぶつかって、よろけたことがあった。ちょっとよろけただけだったが、40代に見えたその婦人は、私の身を案じて乗るはずの電車を見送っていた。以前ならよろけることもなかっただろうし、仮によろけたとしても、婦人は電車に乗っていただろう。
こんな老人について、カウリー氏の言う老害とは乱脈、虚栄そして強欲。心地よい老後を過ごすためには、この三悪に気をつけなければならない。
私の場合、乱脈はもともとのことだから老害ではない。
虚栄は昔の栄光にすがるものだけど、今となっては若い頃の記憶は後悔の方が多い。もしも、我が家で「昔は」などと言おうものなら、猫まで横を向くだろう。
最後に老人の強欲とは、使う見込みもない貯金を抱え込むことにある。
理想はこの貯金額が寿命と同時に尽きることだろうが、それがうまくいくかどうか。今はかつての狩猟民族と違って、介護を受けられる社会に住んでいるけれど、それが快適な生活かというのはまた別の問題。
再びカウリー氏の著書。老人ホームで暮らすある婦人に、一番の楽しみをたずねると、それは「食べること」と答えた。老人ホームでは、どんなにまずい食事であれ、それは一日で最高の時間である。
あとはじっとするなり、テレビを見ながら次の食事を待つ。かつては惜しいと思った睡眠時間も、老いては心地よいひと時。
そんな暮らしの中で感じることは、我とわが身をどうすることもできなくなる恐怖感。赤子のように他人に頼りきりになり、ただ生かされることへの恐怖。
ベッドを汚した時に、呼び出しボタンを押すことの恐怖。カウリー氏が案じたように、老年学の研究者たちは、六十歳にしてこんな恐怖感を理解しているのだろうか。
老人ホームでの暮らしは別として、一般に人生を諦めてしまった人は同時に意欲を失う。うらやむべきは老いてなお挑戦を続ける人々。
ルノワールはリウマチで手が動かなくなっても、絵筆を腕に縛り付けて描き続けた。絵かきは描くべきものがある限り描ける。
例え昔のような成果が上がらなくても、積極的に楽しめる時を過ごせばよい。他人に遠慮をせずに、やりたいことをやって過ごすこと。その過ごし方が、積極的な挑戦ならばなおのことよい。
そして、いつかは「もうそろそろ休もう」と言う時が来るはず。
90代

こうして余生の支度も終るはずだったけど、昨今言われ始めたのは人生百年。そこで次に手にしたのは外山慈比古著「知的な老い方」。
外山氏九十歳。身体の老いはすでに達観をしているようで、不具合をあえて語ることもないし、当然愚痴もない。ただ、昼寝が至福の時間であることは、カウリー氏と同じだった。
老いは自覚しつつも、身体をいたわることを忘れずに、繰り返し記されるのは瓢水の歌。
浜までは海女も蓑着る時雨かな
どうせ濡れると思わずに、死ぬまで自分をいとおしむ。そして、挑戦を惜しまない気持ちもカウリー氏と同じ。
伊能忠敬は50歳で隠居をしてから、測量学を学んで日本地図を描いた。木彫家の平櫛田中は90を過ぎてから10年分の木材を調達した。
こんなことに感心しながら、外山氏は八十歳にして印刷会社の起業を試みる。社名まで決めていたが諸般の事情により断念。
それでも、家にこもることはなく、今度は有志を集めて株の研究会を立ち上げる。儲かるか損をするかはどうでもいい。大切なのは大勢が参加をして、儲け話の雑談に励むこと。
そして外山氏が最後に語るのは有終。
「白秋の花、紅葉には青春の花にない華麗さがある。年老いたものが、めいめいの白秋を有終の美で飾りたいと考えても、あながち不遜ということはあるまい」
世阿弥の入舞にも似た心情に見える。外山氏の思いは、言葉の上で理解をするが、その日が来るまでは、言葉だけの理解で終わりそうな気がする。
さて、余生に向けてどんな支度をしてよいものやら。

