果てはベッドか畳の上か

畳の上で死ぬ
それは行き倒れでも喧嘩でもない。普通に生きた人が、自宅で天寿を全うすること。
叔父の一人は晩年、日当たりのよい座敷で、1日中寝ながら遠くの山を眺めていた。ときおり軒下にある燕の巣に近づく蛇を見つけると、竹竿で追い払う。
もう一人の叔父は、縁側の籐椅子に横たわって、気が向くと「ネコ~」と呼ぶ。すると、どこからともなく猫が現れて、叔父のお腹に乗った。この猫は生涯ネコと呼ばれていた。
二人とも最後まで家族と暮らして、畳の上で息を引き取って、これが当たり前だった。
ところがその後、だんだん病院で亡くなる人が増え始める。戦後の復興とともに、医療が充実したことも理由の一つ。同時に核家族化、共働き、子供の教育などの事情で、自宅での看取りが難しくなった。
平成の終わりころには8割超の人々が病院で亡くなるようになって、病院死のピークを迎えた。その後、高齢者の施設が普及したこともあって、病院死は若干減少するが、老人ホームで迎える死は、畳の上で死ぬということになるのだろうか。
T婦人のこと
Tさんとの付き合いは30年を超える。目が疲れると言ってやってきた。それは眼鏡のせいだったけれど、もう一つ問題があった。
初期の緑内障で、当初は治療をせずに、半年に1回くらいの受診を勧めたけど、Tさんはあまりまじめな患者ではなかった。
自覚症状が何もないのだから、その気持ちもよくわかる。
案の定、Tさんの緑内障は進行して目薬を始めたけれど、やっぱりあまりまじめな患者にはなれなかった。目薬を続けているとは言ったけど、2本の目薬が半年ももつわけがないのだから。でも、Tさんの緑内障は比較的初期で、生涯大事にいたることはなさそうなので、とやかく言うのはやめにした。
Tさんは講演会の手配をしたり、毎月の地方紙も発行して、とても活発な文化人だった。自由が丘の復興や、郷土史の話を聞くのが、診療の合間の楽しみだった。
また、Tさんはこの院外茶話の誤字、脱字を指摘しながらも、とても褒めてくれた。眼医者にしておくには惜しい男だと言って。
こんなことをしながら、緑内障は少しずつ進行したけれど、Tさんは他にも高血圧や糖尿病の問題を抱えて、全部を管理するのは難しい。

久しぶりにTさんに会ったのは桜が散った4月だった。しばらく来られなかった理由について、実は1月にステージ3の食道癌がみつかって、対策をねっていたと言った。
もし、積極的に治療をするならば手術と抗癌剤と放射線療法。高齢者にとって、この負担はとても大きい。例え生き延びても、生活のスタイルは一変するだろう。
そこで、Tさんが出した答えは、一切の治療をしないこと。ただ、食べ物が喉を通るようにステントだけを入れてきた。それは十分過ぎるほど、死を覚悟した結論だった。
余命は1年か2年か。そうだとすれば、緑内障の治療はやめてもさしたる問題はない。でもTさんは、もう習慣になっているので、このまま続けたいと言った。
その後もTさんの様子は変わらなかったけど、本当の心情はわからない。9月に会ったときは元気そうだった。
12月の始めにメールが届いた。実は11月に入院をしたとのこと。いつもの通り定期の受診をすると、その場で入院が決まった。何がなんだかわからない。考える間もなかった。
癌が身体中に転移をして、肺炎も併発したと言うから、主治医の判断は当然だけれど、ここで入院をすれば、多分二度と退院をすることはない。
肺炎の治療が済んだら、あとは末期癌による痛みの管理。4時間毎の鎮痛剤の内服と酸素の吸入。7階に入院したので眺めはよいが、コロナ禍のため、見舞いは家族1人につき10分。
その後は、ときどきメールの情報が入ってきた。始めのうちは気丈な内容だった。
「家族に囲まれてお別れって、わたしもう卒業している気がする」
「2人の女医さんとの交流がなんとも良くて、若い看護師さんたちが面白い」
「主治医には自然のまま苦痛なくよろしくとヨークお願いした」
しかし、本当に家族への遠慮はなかったのだろうか。その後は少しトーンが下がってくる。
「主治医の先生は、医師の立場としては何もしていないという」
「自然に終わる方法をもっと進めてほしい」
「もう少し介護への理解が進んでほしい」
入院生活も長引くにつれて苦痛が増すのは当然。メールの内容も過激になってくる。
「鼻の酸素夜中にはずしたらばれちゃうかな」
「ハンガーストライキでも考える」
10日ほどたって、だいぶん弱気になった。
「私のSNSは機嫌が悪いと行方不明になる」
「鎮痛剤が点滴にかわって記憶力はダウン中」
「この状態の脱出手段はないものか。秘策伝授とはまいりませぬか」
Tさんは清明な意識が遠のくのを知って、何とかこの状況から逃れたいと願う。そこに追い打ちをかけるように何かが起きた。
「まさかの年末問題、難しいものです」
意味がわからなかった。Tさんにとって、年末に何か大変なことが起こるのだろうか。
そして12月24日、おそらく1か月くらいの入院生活を続けて、1行だけのメール。
「どうぞよいお年を」
この翌日、Tさんは逝った。痛みに耐えながら死を待っている状態で起こる、正体不明の年末問題。そんなタイミングの臨終だった。直接の死因はわからない。
とにかくTさんの長い苦悩は解決をした。
病院死とは、えてしてこうしたもので、病気の急な変化や骨折などがきっかけで入院をするが、多くの場合退院はしない。
かつての叔父たちの自宅死とは、ずいぶん変わってしまった。こんな入院を受け入れるべきか、明日は我が身と、気持ちの整理をしておかねばなるまい。

