生類憐みの令

活造り

宮古島の友人から活きた車エビが届いた。箱を開けると、勢いよくエビが飛び出してピンピンはねる。
しかし、活造りは西洋人には嫌われるもので、その理由は皿の上で鯛の口が開くし、鯵の尻尾がびくびく動く。これを見て可哀そうと思うか、美味しそうと思うかは文化の違い。

昔から鮮魚店の店先を見慣れてきた日本人なら、大概は美味しそうと思うはず。うなぎに至っては動き回るうなぎの目にきりを打って、頭から尻尾まで一気に切り裂いてみせる。

残酷に見えるけど、これはうなぎの「目打ち」といって、一瞬にして中枢神経を破壊するので、痛みを感じる暇がない。
そもそもうなぎは痛みを感じるのか。うなぎに限らず魚は痛みを感じるものなのか。

もし、痛みを感じるとすればスポーツフィッシングなど、ひどい虐待ではないか。食べもしない魚を、ただ娯楽のためだけに釣って放つのだから。

魚はともかく私たちに馴染がないのは、鶏や牛、豚の解体です。昔は都会でも庭先で鶏を飼っている家がたくさんありました。
これを食べる時、問題は鳥肉にさばく作業です。大声で叫んで逃げ回る鶏を捕まえて、首をはねて逆さにつるして血抜きをする。その後、さっと茹でて毛をむしるのだけど、聞いただけでもぞっとする。
 今、こんな光景は見なくなったけど、基本的に鶏をさばく手順に変わりはない。

違うのは、鶏の首をはねるのではなく、まず、電気ショックなり、ガスを使って鶏を気絶させてから処理が進むこと。あとは庭先で人がやっていたことが、衛生的な工場に移ったことくらいです。

選ばれた動物

食用の動物は別として、世の中には一般的に人に好まれる動物と、嫌われる動物がいます。そして、嫌われる動物ほど虐待を受けやすい。

例えばネズミやハクビシンは嫌われるタイプの典型で、共通することはまず、人に馴れないこと。そして、時に人や作物に危害を与えること。
哺乳類以外の生き物で、嫌われものといえば鮫、蛇、蜘蛛、ゴキブリ。蜘蛛やゴキブリが大好きという人がいたら、すみません。

反対に人に好かれる動物の代表格は犬と猫。もともと犬は狩りや番犬として飼われたのが始まりで、縄文時代から人間のよき友でありました。犬が死んだときには埋葬も行って、家族なみの扱いだった。
猫はエジプトで穀物を鼠からまもる大切な動物で、あの近辺に住むヤマネコを飼いならしたものです。これが日本にわたって、平安時代にはすでにペットとして飼われておりました。

我が国は文化として、犬猫を大切に扱ってきたけれど、これを正式な「おふれ」にしたものが、徳川綱吉の生類憐れみの令でした。犬猫だけではなく、あらゆる生き物が対象です。
イギリスでも、百年以上遅れてではありますが、動物愛護法が成立した。ただし守られたのは、人間と気持ちの通じる脊椎動物だけ。
日本では、魚や鳥を含めてあらゆる生物を大切にあつかうという思いで、そこには動物だけでなく病人や捨て子、老人も含まれます。儒教の教えが強く反映したものと思われます。 

 このような経緯があって、現在、日本の動物愛護保護法で守られるのは哺乳類と鳥類、そして爬虫類。魚は含まれていない。カエルも。
なぜ、こんな仕分けができたのか。その理由は進化の順を追ってみれば見当がつく。極めて大雑把ですが歴史を辿ってみれば次の通り。

まず、単細胞に始まった生物が動物らしい形になってからは
クラゲ→タコ・イカ→ナマコ→サメ。

この辺りからわかりやすくなって
魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類。

ここで忘れてならないこと。それは、愛護法の対象となる動物は、爬虫類以降ということです。進化をして人間になつくだけの知能をもった動物で、考えて見れば人間のかなり身勝手な判断であります。

哺乳類は犬猫を始め、人と親しい動物がたくさんいます。鳥類もインコやオウムを飼えば、言葉を話して人の心と通じ合う。どの程度意味を理解しているのか、わかりませんが人間をおちょくることもあった。

昔、日本橋高島屋の屋上にはペットショップがあって、オウムがいた。ところがある日からこのオウムが高島屋のライバル、三越の名を連呼するようになったのです。
「ミツコシ、ミツコシ」
高島屋にとっては遺憾な発言で、しばらくするとオウムは姿を消した。半額にされたとか、三越の職員が買っていったとか、いろいろな噂がながれておりましたが、一つ言えることは、かなり人気があったようです。

次に爬虫類はどうして保護の対象となったか。イグアナはどうみてもビジュアルで損をしているように思える。
だいたい、ペロペロと伸びる舌が気持ち悪いし、瞬きのときに、上瞼が下がるのではなく、下瞼が上がるのがどうもだめ。眼医者の偏見かもしれないけど。
そんなイグアナは言葉や感情を表すことはないけれど、すぐれた記憶力と学習能力があって、人間と通じ合うことができるのだそうです。通じ合いたいとは思わないが。

動物愛護の歴史

これまで動物の扱いについてはずいぶん残酷な歴史があった。古くはローマのコロッセオで行われた戦士と猛獣の戦い。

アメリカ大陸に五千万頭もいた水牛は五百頭を残すまでに殺された。スポーツハンティングと称したイギリスのキツネ狩りや、オーストラリアではアボリジニの虐待。

そんな国々が今や捕鯨に反対するくらいだから、時代とともに人々の意識も変わった。今後はフォアグラもヴィール、ふかひれもなくなるかもしれない。畜産も狭いケージではなく、多少効率が悪くても放牧が推奨される。 ただ、爬虫類、鳥類、哺乳類以外にはどういう判断がされるのでしょう。ここでも合理的な判断と、日本特有の生類憐みの令との違いが、浮き彫りになってくると思うのです。

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