たぬき饅頭

限定品の怪

「 季節限定」、「先着十名様限り」

チラシに踊る誘惑の見出しに妻が買ってくるものは、中味がスカスカのカニや一度袖を通したら縫い目のほつれるセーターである。カニの足を切って見れば妻は怒り心頭に発するが、これが反省につながることはなくて、翌朝はまた大量のチラシをめくる。この時に食料品や衣類ならばいいのだが、マンションの広告をじっと見られると身が竦む。
季節限定とはいえ、春夏秋冬、足を運んでいた日には、一年中買いっぱなしの計算になるが、世の女子たちはこのことに気付かない。今日も一切れ百円の太刀魚の切り身は、焼く前から身が崩れていて、あー、またかと思いつつ骨になるべくたくさんの身を残すよう心掛けるが、太刀魚はどうも身離れがよくていけない。しかし、包容力のある私はこんな妻の買い物を咎めない。

咎めないのには理由がないでもない。三月ほど前に極めて骨董的価値の高い昭和三十年代の真空管ラジオを購入した。これこそ限定品の中の限定品で、こういう逸品を見分ける目をもって欲しい。当然コンデンサーの劣化は予測されるもので、このラジオはオーバーホールをしなければならない。
君子たるもの、電気おたくという未知の分野で活動をする時には用意周到である。始めてのキャバクラだって「上手な会話術」と「もてる男ともてない男」を読破してから行った。ただ、残念ながら隣に座った女性は、会話が始まる前にいなくなってしまったが。

この度は「ラジオの直し方」という本を手にいれて、さらにハンダ鏝、テスター、ラジオペンチ諸々を準備。これで配線図を見ながら、一カ月で現代の高級ステレオもおよばぬ柔らかな音質を再現する予定であった。
しかし、安易な構想は硝子細工に似て壊れやすい。より正確に言うと、すでに壊れてしまった。気がつけば配線図が読めなかったのである。自信家には得てして思わぬ落とし穴があるものだ。今は押し入れの奥深く仕舞いこみ、妻が忘れてくれる日を待っている。
万が一ばれた時には、太陽無線の友人に頼んでみよう。万が一ばれなくても完全に諦めた訳ではないし、第一、時間をかけても壊れることはない、もともと壊れているのだから。スカスカのカニと一所にしないでもらいたい。

そもそも限定品というものを、手に入れて成功した試しがない。地域の限定品など、物流の悪しき時代にはそれなりの価値があったかもしれないが、今やよい品物はたちまち全国版の販売網にのる。その土地でなければ買えないものとは、その土地でなければ売れない粗悪品になってしまった。時おり田舎道で無人販売をやっている、すっぱいみかんや曲がったキュウリがそれである。

阿波のたぬき戦争

こんなつまらない時代に、私が手に入れたものは本物の地域限定品。徳島は津田浦の六右衛門狸饅頭である。ちょっと甘いが素朴な味でとても美味しい。この六右衛門狸饅頭とは何か。
六右衛門狸は人を騙してものを取るという、狸の王道とも言うべき生活を送っていたが、ここに金長狸というのが現れて、歯の浮くような文言を並べて説教をたれるのである。これに怒った六右衛門は六十匹の軍勢を率いて金長と一戦を交えた。初戦こそ勝利を治めたものの、二度目の合戦に惨敗、首を取られることになった。
以来、金長狸饅頭は徳島の名物となり、全国の販売網にのったが、六右衛門狸饅頭はご当地、津田浦でしか売られることがない地域限定品なのである。

もっとも、これは金長が見た歴史感で、六右衛門側から見ると話は大分違ってくる。金長の娘を嫁に押し付けられた六右衛門は、なかなかよい返事をしなかった。業を煮やした金長はこれを謀反の動きとして攻め入り、六右衛門狸は寝首をかかれるがごとき敗戦の憂き目にあった。

いずれも有名な阿波の狸合戦の話であるが、敗者の弁が通らないのは世の常。私の言い分が通らない我が家のいざこざにもよく似ている。六右衛門狸が不幸を招いた開戦という過ちを、夫婦喧嘩という言葉に置き換えれば、あの狸は私の前世だったかもしれない。

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